今は亡きお義兄さんが入れてくれた私の「本気スイッチ」

今日は、私がアフィリエイトに本腰を入れようと思った、
ある「出来事」について書こうと思います。

とても個人的なことですが、
私にとっては「人生の転機」となったこと。

「何を大切に生きるべきか」の価値観を
教えてくれたお義兄さんとの思い出のお話になります。

 

2013年10月。
姉の旦那が白血病の診断を受けました。

当時、姉夫婦には小学2年生と4年生の幼い子供がいました。

「父親が白血病になったことは、絶対に耳に入れない」
子供が不安にならないように、そう決めて闘病生活に立ち向かいます。

ほどなくして、”介錯なしで切腹するような苦しみ”
といわれるほど過酷な抗癌剤治療が始まりましたが
お義兄さんは、その辛さを見せませんでした。

看護師さんも

「何事もなかったかのように無菌室から出てこられるんよ。」
と、ビックリされてました。

それどころか、お見舞いに行く度に
今まで見たこともないような笑顔を見ることもありました。

 

安堵感を抱いた私は、

「これなら直ぐに元気になるね。」
と姉に声をかけると

 

「そう見えるでしょ。」

「でもね。本当は辛くて辛くてしかたないんよ。」

「この前も、無菌室のガラスに貼ってた、子供の絵を見て泣いてたんよ。」

「口の中がただれて、殆どなにも食べない時に、
 『食べないと元気にならないよ』ってハッパをかけたら
 大声で『ほっといてくれ』って荒れちゃったし。。。」

 

お義兄さんが子供に悟られないようにと、歯を食いしばっている姿。

お義兄さんの憤りのない気持ちを必死に支えている姉の姿。

 

苦しくないはずが無いんです。

目に見える以上の苦しみに、必死に立ち向かっていたんです。

 

子供達が「なんでお父さんは入院してるの?」と聞くたびに、
笑顔をつくって話している姉を見ながら…

なにもできない自分に腹が立ちました。

 

”私にできることはないのか?”

 

家と病院を往復する毎日で疲れきっている姉に、
せめて、金銭面だけでもサポートできないか?

そんな思いが膨らみましたが、
会社員の給料では、自分の家庭を守ることしかできません。

 

その時から私は、諦めかけていたアフィリエイトに真剣に向き合います。
お金を稼げる可能性があるのであれば、必死に取り組んでみようと決めたのです。

 

 

お義兄さんは幸運にも、弟さんの骨髄が一致し、
2014年6月に骨髄移植を行い、9月に治癒して退院しました。

 

本当に嬉しく、全てが報われたと歓喜した瞬間でした。

 

退院して間もなく、お義兄さんから電話がきました。

「色々ありがとうな。」

相変わらず素朴な感じでしたが、元気そうな声に安心しました。

甥っ子に代わり、

「お父ちゃん帰ってきて良かったなぁ」と私が話すと

「うんっ!」
と、弾んだ声で返事をしてきました。

「お父ちゃんと今度釣りに行くんだ!」

嬉しそうに話す甥っ子の後ろからは、

「お父ちゃんはまだ安静にしとかんといけんよ。」
と、姉が突っ込んでるのが聞こえました。笑

 

日常が戻ったんだなぁと嬉しくなりました。

 

 

ひと安心した私は、
嫁の実家(富山)に羽を伸ばしに出かけました。

黒部峡谷のトロッコ列車を満喫し、
魚津水族館やミラージュランドで大はしゃぎ。

子供の笑顔を見るたびに、
「やっぱり家族っていいなぁ」と。

立山連峰の壮大な景色を見ながら
「いつかお義兄さんや甥っ子達にも見せてあげたいなぁ」

そんなことを思ってました。

 

 

2014年10月。

育児休暇も終わり、私は会社員の生活に戻っていました。

 

そんなある日…

母親から着信が入りました。

 

「あのね…実はね…」

 

「再発したの…」

 

 

そんな…

ま、まさか…

 

 

姉からは一通のメールが届きました。

 

「また、立ち向かって行くから…」

 

「応援してね…」

と…

 

 

そこからの時間はあっという間でした。

再度、抗癌剤治療を行いましたが寛解に至らず…

お医者さんからは

もう、打つ手が無い…
もって年内…

そう宣告されました。

 

 

そんな状態でも、私がお見舞いに行くと
お義兄さんは、ベットの上で座って迎えてくれました。

 

「無理せんでいいよ。」
私がそういうと

 

「いや、今日は調子が良いから大丈夫。」

「そういえば、子供にゲームを買って貰ったみたいで。ありがとう。」

お義兄さんは笑ってそう言いました。

 

私は、何を話せば良いのか戸惑いながらも
なんとなく、時間がゆっくりと流れてるように感じていました。

 

「じゃあ、また来るけんね。」
そう言って病室を出ようとした時、

 

「また、何回も会おうな。」

お義兄さんが力強く言いました。

 

私が振り返ると…

お義兄さんが涙を流していました。

 

「何回も来るけんね。だから頑張ろうね。」

 

お義兄さんはうつむきながら

「頑張る気持ち半分。諦める気持ち半分だなぁ。。。」

と…

 

初めて、お義兄さんの弱音を聞きました。

 

私はお義兄さんの膝に手をあてながら

「希望はまだあるよ。子供が帰ってくるのを待ってるけんね。」
そういうのが精一杯でした。

 

お兄さんは、私の手を強く握り返しながら、

 

「子供には俺しかおらんけんな。」

 

頷づきながら、2人で泣きました。

 

 

1つ1つ、希望の光が閉ざされていくなか
姉も少しづつ覚悟を決めた顔つきに変わっていきました。

そして、悟らせまいと必死に子供達に隠していた白血病のことを
少しでもお父さんとの時間が持てるようにと、話をしたようです。

 

それから数日後…

2014年12月11日。永眠。

 

幼い子供達を残して旅立つことは
自分で自分が許せない苦しみだったと思います。

どうしようもなく、辛かったと思います。

 

49日の法事も終わり、数ヶ月が経ちました。

 

遺影のお義兄さんは笑っています。

姉や子供達が、笑顔で毎日を過ごすことを期待しているかのように。

 

きっとお義兄さんは「お父さんがいないから…」
という理由で、肩身の狭い生活をしてほしくないはずです。

 

それでも、大黒柱を失った姉には厳しい現実が待っています。

 

「お金」がなければ諦めざるをえない事も沢山あります。

住む場所にしても、今後の学費にしても「お金」が必要です。

「笑顔で毎日を過ごす」為には、「お金」がいるのです!

 

とくに、お義兄さんが「子供には俺しかおらんけんな。」
と、最後に涙を流して話した言葉は脳裏に焼きついて離れません。

 

確かに、子供にとっての父親はお義兄さんしかいません。

でも、姉や子供達が笑顔で毎日を過ごすために必要な「お金」は
お義兄さんがいなくても、なんとかできるかもしれません。

 

 

私は決意しました。

姉がお金に困って、色々なことを諦めざるをえないとき、
金銭面のサポートができるような存在になりたいと。

 

その為にも、私は「お金」をもっと稼ぎます。

 

会社員の給料では、自分の家庭を守ることしかできません。
でも、アフィリエイトなら、可能性があると信じています。

 

大切な人を守り、笑顔にするためのお金を生み出すアフィリエイト。

私の「本気スイッチ」は、今は亡きお義兄さんが入れてくれたのです。